diary

「若葉いきいきフェスティバル」

40代の頃、これまで自分がやってきた音楽のすべてを出し切るつもりで、とある活動していました。 その理由は、自分は他のジャズミュージシャンよりも迷走していた時期が長く、さまざまなジャンルの音楽に寄り道していたので、 それらを無駄にしてしまうのはもったいないと思ったからです。

ギターを始めた頃は、ビートルズやサイモン&ガーファンクル、日本のフォークロックを聴いたり、ギターで弾いたりしていました。

その後、時代の流れとともにハードロックやヘビーメタルが主流になり、自分もそちらにどっぷりと浸かっていきました。

一通り速弾きやヘビメタのバッキングを習得し、さらにファンクバンドとフュージョンバンドを掛け持ちで活動。

そのバンドが解散した後、次第にジャズにのめり込んでいきました。

そうして、いわゆるジャズギタリストになったわけですが、当時は生きていくのが精いっぱいで、とにかく演奏できる場所があれば路上でもどこでも弾き、お金になりそうな作曲の仕事があれば引き受ける、という生活をしていました。

そんな日々の中で、ジャズミュージシャンとして生きていくためにアルバムを制作しました。

自分はいわゆる社会不適合者で、唯一耐えられるものが音楽でした。

社会に適応できないことへの恐怖からアルバムを作ったようなもので、大義名分としては「ジャズギターの素晴らしさを伝えたい」という思いがあったものの、実際のところは、その恐怖から全力で抜け出すための手段だった――そう考えると、それが一番しっくりくるような気がします。

さて、話を戻します。

さまざまな過程を経て、現在も何とかジャズミュージシャンとして生きていますが、自分が歌詞を書き、メロディーをつけ、アレンジをした「自分だけの曲」が世の中にあってもいいのではないか、と思うようになりました。

そうして、40代の頃、シンガーソングライターとしての活動を(あまり公にはせずに)始めました。

50代に入ってからはやめていたのですが、最近、シンガーソングライターとしてのライブの仕事が入り、ジャズギターを交えながら演奏する機会をいただきました。

今回出演したのは、千葉市若葉いきいきプラザで開催された「若葉いきいきフェスティバル」です。

この施設はシニア向けのコミュニティスペースで、陶器の展示販売や、趣味のオカリナ、ウクレレ、コーラス隊などの発表会が行われるほか、温泉なども格安で利用できる、とても賑わっている場所です。

そんな温かい雰囲気の中で演奏させていただきました。

満員御礼。皆さんに楽しんでいただけたように思います。

今後、シンガーソングライターとしての活動をする予定はありませんが、自分の性格を考えると、気分次第でまたやってしまうかもしれません。

その時は、ジャズギタリスト以外の私の一面を見たい方、怖いもの見たさを体感したい方、ぜひ遊びに来てください。(笑)